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環境関連の研究や開発は、表裏一体で善も悪も判断の難しいことが多々あります。善悪の判断が難しいことなのですから、正しい道へ人を導くと言うのはどれほど難しいことかと考えます。恐らくリーダーにはその善悪を見極める資質や実力が期待されていて、致命的な間違いを犯さず、どこか成功への道筋になっているのが理想なのだと思うのです。けれど、現実にはリーダーが正しい道を指し示すとは限らないわけです。
環境問題もまた、そんなリーダーが指し示したであろう道筋が必ずしも正しくなかったことによって起きていることもあるのではないでしょうか。ではここから正しい道を指し示せるのかと考えれば、試行錯誤の日々に確証を持てようはずはありません。正しい道を選ぶのは、まるで複雑なあみだくじを辿る様なものです。正しいと信じなければ犯さなかった過ちは後戻りできないことも少なくありません。故にその道の選択はとても難しいことなのだと思うのです。
現時点で最も問題の少ないのは植物の光合成くらいなものであるのに人類は森林を伐採することに忙しいとは、正しい道を知るものの行為とは考えられません。
やがて来るであろう化石燃料に依存しない社会を実現する為の道筋は決して平坦な道でも真っすぐな道でもないでしょう。故に迷い悩みを深めることもあろうかと思います。それでも柔軟な心で正しい道を模索し続けることでしか道を信じることはできないのです。
子供の頃見上げた青空は、現代の山形でも見ることが出来ます。これからドングリの季節になれば、豊潤な味わい深い風を感じることが出来ます。幸いにも人と自然の共生関係が未だ息づいている山形を如何に次世代へ託すのか。それが現代山形人の役割であると言えるでしょう。
そうなのです。立場が変われば善も悪も変わります。
だからこそ判断が難しいですよね。
みんなが迷ってしまわないように道を探すことはなかなかに難しいことです。