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サスティナブルと言う言葉を聞く様になったのは、東北芸術工科大学の植松先生の講義を聴講してからだと思います。「持続可能」と訳されていますが、意味する所が大きい為に解釈も様々になります。
持続可能な地球環境。
持続可能な社会システム。
持続可能な日々の暮らし。
それぞれ意味する所は同じであってもスケール感はまるで違います。その為、立場によってサスティナブルの捉え方も違って来るのです。
例えば「雪」について考えてみます。都会に暮らす人にとって雪は幻想的でロマンチックで、人によっては郷愁を誘う夢のある風景だったとしても雪国に暮らす人にとって「雪」は脅威であったり労働をイメージさせたりと現実的な問題となります。では、これが雪でなく「CO2」だったらどうでしょう。都会の人が地方へやって来てCO2削減を唱えても地方の心に人に響かせることは難しい事です。何故なら周囲には緑の山や田畑が広がっているわけで、雑草が繁茂したとなれば、それは草刈りの対象に他ならないわけです。「CO2」削減の為に雑草は繁茂したままで良い等と言う事はありません。つまり同じ言葉を使っていてもお互いに意味する事は違っている事になります。そういう意味では、グローバルな話題は国内レベルの話題への翻訳が必要となり、国内レベルでの話題は地方レベルへの話題へと翻訳が必要となるのだろうと思います。
同様の事がCOP10でも起きていたのではないかと推測します。先進国の論法で生物多様性を唱えても発展途上の国には承服できようはずもありません。
おそらく各々の事情があり、日々の暮らしがあり、環境があります。しかし、あと20年で地球環境が破たんし、50年で破滅的気象変化があるのだとすれば、どう結果を出して行くのか急務である事になります。どういう事がサスティナブルなのか頭に入れておかなくてはならないでしょう。