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今日は自転車でも走れるような天候でした。でも、昨日山形駅近くのコンビニに傘を忘れて来てしまったので電車で向かう事にしました。一見安い普通のビニール傘で、軸も曲がって経年劣化の為にビニールもゴワゴワですが、以前に仙台の八木山動物園に出かけた際、雨に降られたので購入したものです。時計を見ると電車の時刻ギリギリでしたので小走りに駅に向かって間に合いました。駅に近いと言うのはこう言う時にありがたいです。果たして傘は昨日のままにコンビニにありました。朝食代わりにおにぎりを買って店員さんに傘の件を話してシェアハウスに向かいます。
「おはよ〜。」
声をかけても返事はなし。シェアハウス仲間はまだ夢の底に沈んだままの様です。おにぎりを胃に流し込んで専門校へ向かいます。
「先行くよ〜。」
返事は無し。彼は車なので間に合うのでしょう。
専門校のガガイモは順調です。まるで車のエンジンをかける様に昼夜の寒暖の差でムクムクと大きくなっているような気がします。雑草と呼ばれても、その発芽のメカニズムには精妙なルールがあり、そのタイミングが合致した時、エンジンに点火する様に発芽・成長システムが活動を始めるのです。ガガイモの小さな芽は日に日に力強くなります。実は…と言っても誰も興味ないかもしれませんが、カガイモの芽出しが目的ではありません。発芽の様子を見ていると可愛いので試食するのも躊躇しますが、目的は芽ではなく根です。ガガイモの根はアルカロイドを含む有毒とされ、絶対食べない様にと言う注意書きがあちこちに散見されます。しかも、その根は年間10mも伸びるらしく旺盛な繁殖力のお陰で強害植物として嫌われていいます。でも、もしガガイモが有益な植物だったらどうでしょう。この生命力は非常に大きな意味を持ちます。しかもガガイモは多年草。つまり一度根を伸ばして安定すれば、その根は強力な生産工場となります。
では、ガガイモは何か有益かと言えば、昔から様々に利用されていたのに現代では漢方薬か一部の愛好家に山菜として親しまれている程度です。昨年からその利用法については模索していますが、健康茶や入浴剤としての利用は可能ではないかと感じています。最も注目しているのはアトピー性皮膚炎への効果です。一説にはセイタカアワダチソウにもそう言う利用法があるらしく、雑草として利用されていないものに現代病を解決する鍵が隠されていないとも限りません。ガガイモは、昨年乾燥しておいたものをお茶にしたり入浴時に利用したりしていますが、入浴に関して言えば乾燥したものより生の物の方が効果があるような気がします。乾燥した物でも量を増やせばいいのかも知れませんので、その辺りはまだ実験の価値はあります。お茶として利用する場合は、乾燥した物で良いとしても、料理に利用する場合は生の方が使いやすいでしょう。こんな風に生を利用する場合のメリットが他にもあるので1年を通じて生のガガイモを利用出来る事が望ましいのです。そして生での利用を想定するとガガイモの根は素晴らしい価値を持ちます。
今年の冬は野菜の高値が続いていますが、例えば窓辺にガガイモの葉が青々と茂っていれば、調理する時に何枚か摘んで使えば良い事になります。おまけに滋養強壮効果があるとなれば、一石二鳥です。ただし、良い事ばかりではありません。まずは味。美味しいかと言われれば、特に美味しいわけではないので調理に工夫が必要かもしれません。それにしても偶然見つけたガガイモにこまで入れ込む事になるとは、我ながら驚きです。
さて、前置きが長くなりましたが、今日の専門校。
1限目と2限目はエコアクション21の講座の総まとめです。先日行われた審査結果の報告と考察の後、修了試験がありました。驚いたのはその試験に隠された仕掛けです。正直な所、この試験を受けるまでエコアクション21の講座で学んだ事の活かし方が解らずにいました。ところが、修了試験の裏側に採点外として設けられた問題は、受講生自身の今後の人生計画を問う問題になっていました。しかも、その計画に期限設定をせよと言うのです。エコアクションの講座は、エコアクション21を取得する為の取り組みについての講座でしたが、その過程において討議やワークショップ、模擬内部監査まで様々な手法で目的を達成する為のプロセスを経験して来たのです。そして、それが実は人生設計にまで応用出来るのだと言う事を暗示していました。回答を書きながらこれまでの自分の浅はかさに愕然となってしまいました。そうなのです。全ての取り組みは自分の人生に直結しているのです。そのことに気がつかずに過ごしてしまった事を反省すると同時に講師の河合先生の思慮深さに恐縮してしまったのでした。
今日のお弁当♪
午後は青森県の六ヶ所村における核燃料の再処理施設に関するDVDの鑑賞でした。2時間に渡るその映像は淡々と進みましたが、その意味する所は未来への暗示が黙々と語られています。再処理施設の建設によって様々な立場の人がその渦中に巻き込まれ、原子力発電による電気の恩恵に与っている国民全てを巻き込んでいます。日本の原発施設は既に54ヶ所。その全ての原発と六ヶ所村再処理施設の間を核燃料が往復すると聞いて良い気持ちがする人はいないでしょう。しかし、六ヶ所村の方は24時間、365日、ずっとそういう状況に置かれる事になります。これまで美味しいお米を生産販売していた方はお米が買ってもらえなくなったそうです。ふと、農家に住み込んでアルバイトしていた時の光景が脳裏を過りました。青く茂る稲、山の水が流れ込んでいるその田圃はひんやりと澄んだ水が心地よく、説明できない感動に目頭が熱くなったのでした。そんな美しい田園風景を核施設が台無しにしてしまうのです。その影響力の大きさをどう評価しているのかと考えさせられます。イギリスでは核の再処理から撤退する事になったと言う事でした。 最終処理も不明確なまま進められる原子力発電。お湯を湧かすだけの為に核燃料を使うと言う最強・最悪のアナログ技術である様に感じます。
自然エネルギーの利用がなかなか軌道に乗らない現在、日本に未来はあるのでしょうか。
駅へ向かう帰宅中、道沿いの畑にフキノトウが今にも咲きそうでした。既に摘まれた後もあります。このサイズのフキノトウなら天ぷらにしたら最高に美味しい事でしょう。写真だけ撮らせて頂きました。
春…なんですね。