[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
今日は雨でした。なかなか自由な時間が取れなくてお得意の散歩もサイクリングもお預けなので、今日も昨年の写真を引っ張り出してみました。
2009年9月28日はジャガラモガラに出かけていました。ジャガラモガラとは天童の山中にある地域の名称です。一見何もない山間の窪地に何故そんな名前で呼ばれているのかというと、独特の地形と気候と伝説による所が大きい様です。インターネットで検索するとたくさんんの情報が見つかるので詳しい解説は割愛しますが、密かにファンがいるのはミステリアスな雰囲気の賜物でしょうか。
昨年の今日は、特にその雰囲気が強く感じられた日でした。まずは普段見なれないアブの様な虫が目を引きました。そしてそれは足下を闊歩する足の長い蜘蛛のせいでさらに強く感じられるようになったのです。その蜘蛛は、子供の頃に父の茸採りにつきあって山に入ると時々見られた蜘蛛です。長い足と黒い小さな身体をゆらゆらさせて薄暗い山の中を歩き回っていました。その名は「ザトウムシ」です。実は、この記事を書くまで「ユウレイグモ」だと思っていました。確認の為に調べ直した所、どうやらザトウムシが正しい様です。子供の頃は、そのゆらゆら動く様子が面白いと思っていましたが、どういう訳かジャガラモガラで見たザトウムシは、それまでみたことのあるものより大きくて数も多く不気味な雰囲気を醸し出しています。生命の進化は何故こんな形態を選択したのかと疑問を呈したくなると言うものです。気がつくと物陰から「カサコサカサコソ…」と音がするので覗き込んで見るとザトウムシが蝶か蛾のような昆虫の死骸を食べていました。それまで暢気に散策をしていましたが、足下を徘徊するたくさんのザトウムシを目の当たりにしてさすがに平常心を失いそうでした。(笑)
動植物を観察する時の楽しみはその生命デザインの美しさやユニークさを感心しながら眺めることです。生命の進化の果てに切磋琢磨されたデザインだとするなら何故それを観察する人間の目に美しいとか面白いとか感じられるのでしょう。もしかするとその感覚は人間の側に生まれる特有の感覚なのかも知れませんが、そうであれば気の遠くなる様に長い歳月の中でお互いの関係が培った感覚だと言うことになるかも知れません。
生命が誕生して40億年だそうです。その長い歴史の中で会得した経験が新たな生命のデザインへ活かされて行くのでしょうか。ザトウムシのように完成されたひとつのデザインを見せられると、生命のデザインが経験だけではなく目指している完成形のデザインがある様な気さえします。生物多様性とは、たくさんの生命のデザインが支えている環境と言うことになります。ジャガラモガラもまた、そんなたくさんの生命のデザインを育む貴重な地域であると言えるでしょう。