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キンモクセイの香り漂う雨の中、たまった所用を片づけつつ街の中を歩いていると公園で目に止まった光景にちょっと考えさせられてしまいました。これは芸術家の仕事か、それともただのお遊びか、ブラックジョークの匂いを感じてしまいました。公園の樹はそれなりに長い歳月をその場所で過ごし、何らかの都合で伐られることになったのでしょう。公園ですからその何らかの理由も深い意味があったのかどうか定かではありませんが、とにかく伐られることになった訳です。その時に切り株を椅子にしたらどうだろうと誰かが提案したのでしょうか。それとも委託された業者の発案でしょうか。人間の都合で伐られる事になった樹が椅子として再利用されたと言う訳でしょうか。「…これはエコなのか?」としばし考えてしまいました。面白ければいいと言う意見もあるかも知れませんが、エコとエゴは紙一重であることがあります。それを指摘する問題提起としての演出なのかもしれないと考えたりします。
さて、調べものをしていると、どうしても見つけられない情報と言うものがあります。インターネットが普及した現代において情報は溢れんばかりに氾濫し何もかもが知り尽くされた様な感覚になることがありますが、その実、同じ内容の記述が複数ある割にその先の情報が見つからないこともあるのです。
情報の行き止まりです。
ここから先は、発表されていない事実が待っているのか、知られていない事実が待っているのか、はたまた誰も興味を持たない情報なのか。その情報の行き止まりまで進んだらそこからはインターネット以外の手段を用いる必要があります。図書館だったり、直接その道の知識人に意見を乞うと言うこともあるでしょう。しかし、自分が実験すると言う体験をする必要もあるのだと思います。情報収集や知識はその為の布石であり、事前調査と言うことになります。その体験の後に再調査をすると、不思議なことに別の情報が見つかったりするのです。
訓練校の講義で生物学の基礎を受講していますが、そのお陰で分子式に対する拒絶反応が少なくなっている様です。今日は植物の成分を調べていたのですが、その成分はほとんどがC(炭素原子)とH(水素原子)とO(酸素原子)で構成されていました。そこに不思議さを感じたのは、その組み合わせだけでどうして物質にバリエーションが出来てしまうのかと言うことです。CO2なら二酸化炭素、O2なら酸素、H2Oなら水です。この組み合わせが様々な物質として挙動に変化が起きると言うのは、実に不思議なことです。
希求とは、強く願い求めること。