[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
依然ガソリン不足が続いています。多くのガソリンスタンドは入荷まで休業となり、開いているスタンドは長蛇の列になります。こんな状況ではボランティアに向かうのも容易ではありません。電車は少しずつ復旧しつつあるようですが、今でも時々揺れが来るため完全復旧するにはまだ少し時間がかかるでしょう。
今日も自転車で出発。少し早めに着いて避難所になっている山形市総合スポーツセンターの館内の状況を確認します。食事を提供する立場にあって、避難所の様子がどうなのかイメージしておきたいのです。体育館等の施設内は避難された方々が寝起きするスペースなので立ち入るにはまだ少し躊躇があります。しかし、本来であればそれではいけないのでしょう。まだどういう立場でいればいいのか自己消化出来ていないのです。
ボランティアも3日目ともなると少しずつ流れが掴めて来ます。女性陣の包丁さばきも冴え、男性陣の火の番と運搬、そして提供して片付けに至るまで率先して動いてくれる受講生があり、そのサポートやそれ以外の作業に回る受講生等、暗黙の内に分担が決まって行きます。この辺りが一年に渡って同じ教室で学んで来た仲間だからこそなのかもしれません。そういう意味では、隣で炊き出しをしているチームは職場の仲間の様子で息もピッタリな感じです。
途中、自転車での買い出しを頼まれましたが、歩いている人や自転車の人が増えました。多くは避難して来た人なのか、地元で車の燃料を節約している人なのか。スーパーに着くと、レジ前は行列が出来ていました。日曜日と言う事もあるのでしょうか。避難の方は長期的な避難生活を考える余地はあるのでしょうか。恐らくこれから地域的な差異が少しずつ見えてくるでしょう。そこにお互いが気がついて融和して行かなくてはならない事になります。受け入れ側は意図せずして仲間が増える事になります。少なくてもUターンやIターンに関する受け入れ態勢は充分ではないと感じていたので、果たして避難して行く事が出来るだけの態勢がとれていくのか難しい調整を必要とされるかもしれません。
途中、館内を歩いてみたら、運動不足解消や精神状態の安定を目的としているのか、子供達を集めて運動をしているようでした。そのうち館内放送がかかり、ラジオ体操をすると言う事でした。様々な工夫と取り組みが見られます。廊下やロビーには支援物資が届けられています。本があったらいいかも知れないと思っていたのですが、段ボールにたくさんの本が用意されていました。こんな時、被災された皆さんは何をどんな風に思っているのでしょう。
現在の専門校に入る前、1年半程の無職期間を経験しましたが、想いの内を説明するのはとても難しく理解を得られないことで孤独感を募らせたものでした。それは現在の立場でも大きく変わったわけではありませんが、どういう接し方や関わり方を持つのが相手の立場になる事なのかと考えます。
昨日、食事を提供する際のトレーが必要ではないかと言う事で、仲間の一人が一晩でたくさんのトレーを作って来てくれました。このトレーを順次利用して頂く事によって運ぶのを楽にしようと言うことです。材料に関しては地元のホームセンターヤマケンさんがべニアを無償提供して下さったそうです。小さな子供達が家族の分まで運んだりしています。有効活用させて頂きます。ありがとうございました。ボランティアメンバーがある程度安定して来ると、分担にもルールが出来る様になります。その過程を間近に見る事が出来るのはとても貴重な体験ではないかと感じています。
一日を終えて帰宅すると、自宅アパートの自転車置き場にも一台の真新しい自転車が増えていました。