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朝、いつもの様に自宅を出て、見慣れた風景の中を自転車で走ります。いつものことなので、特に大きな変化があるわけではありません。1年前と違うのは見えない脅威が風景を違うものに見せることでしょうか。
教室に置いたガガイモの種は、芽を出し茎を伸ばし、ペットボトルの口元に届く程の長さになりました。山菜として食す予定でいましたが、多年草であるが故、今年はまだあまりにか細い茎なのでとても調理して食べようと言う気持ちにはなりません。自宅へ持ち帰って順調に育てば、いずれ実をつけることもあるかも知れません。
今日は、山形県環境技術専門校の第一期生の最終講義の日でした。有終の美を飾るのは、やはり荒井理事長です。この一年間を通して最も多くの講義を受け持ち、時事の話題を交えつつ、根底にある環境問題を掘り起こし、それを事業化する発想を指南して頂きました。多岐に渡る環境の話題に関心があればこそ、多くの素晴らしい講師の先生方とのご縁に繋がったのです。
今日の講義の皮切りはやはり放射能の問題です。なんと喫煙しても被爆するというデータがあるのだそうです。改めて調べてみると、たばこは「ポロニウム210」と言う放射性物質を含んでいるというのです。唖然…です。もちろん、これが世論を放射線から逸らす為の情報操作ではないかと疑心暗鬼になりますが、このポロニウム210のことは何も最近になって話題になったものではなく、随分以前から知られていたことの様です。むしろ、たばこが含有する有毒物質はポロニウム210ばかりではないため、何を今さら…と言うことになるのでしょうか。
いずれにしても福島第一原発の問題は厳然と存在しているもので自然界に放出された放射線の問題が正当化されるものではなく、いいわけにもならないのです。専門家と呼ばれる人は世に数多存在しますが、専門家の言う想定内と想定外についてのお話もありました。例えば建築物の場合、様々な強度計算をするわけですが、そこに津波による力が加わることは想定されていません。どこまでを想定すれば大丈夫と言えるかということが問題になります。揺らぐ大地の上で暮らしていると言う現実によって何が起こるかと言う想定が必要になります。少なくてもそこまでのことは学校では教えられないかもしれません。その上で専門家であり続ける為に必要なことを学び続けることが求められるのかもしれません。
チェルノブイリの原発事故から25年だと言うことですが、半径30km圏内は現在も立ち入り禁止が解かれていないそうです。福島の原発の問題も長期化が予想される為、地域や経済、暮らしに与える影響は図り知れません。それでもまだ大丈夫と原発を運転し続けるのでしょうか。小さな国土日本を台無しにする様なエネルギー政策を今後も展開するのでしょうか。この期に及んで声高に原発推進を唱える意見のあることに背筋が寒くなる想いです。
環境を考える上で「循環型社会」の考え方は重要であり、自然環境を含めた循環を阻害する物質は使うべきではなく作るべきではないと言うお話で締めくくられました。
この一年、専門校で学んだことは出発点に過ぎないのです。環境のことは生涯学習として学んで行くべきなのだと言う言葉が印象的でした。
都会へ出る事情は各々だとは思いますが、山形が優れた自然環境と優れた住環境であることに気がつかずに都会に出て行くならもったいない話です。今後、東北地方の再構築をして行く上で、恵まれた自然環境を維持して行くことを忘れない様にしなくてはなりません。
街路樹の蕾が膨らんでいました。