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脳に刺激を与えるべく自転車を走らせ、近所の公園で思索を巡らせます。まるで閃きを拾い歩くかの様です。それから書店へ向かいました。
やまがたの方言カルタに興味を引かれたので手にとって眺め、それから店内を回遊する様に歩きます。植物図鑑のコーナーの前に立ち止まって何冊か開いてみました。そしてもちろん「ガガイモ」を探します。印刷物は流動的な情報のインターネットで調べる感覚とは違いある程度固定化された事実として認識されます。ところが、その固定化された情報がインターネットに比べて圧倒的に少ないのが現実です。しかも、誤解を生む様な表現であると落胆も著しいものがあります。ガガイモに関しては、根にある毒性を記載していないものや特徴的なガガイモの袋果の写真を載せずに根が芋の形をしているからガガイモの名があるとか。実際に根が芋の形をしているのかどうか未検証ですが、袋果の形を見ていれば、それが連想の元になっていることは想像出来るのではないかと思うのです。もっとも、サツマイモが日本に伝わったのは江戸時代ということですので、名前に何故「芋」が付いているのかはっきりしない様です。
野草であってもキノコであっても、あるいは動物であっても、図鑑に載ってさえいれば既に知られた生物であるとしてそれ以上疑問を持たないのが普通でしょう。しかし、調べてみると意外に情報が充分ではないことが解ります。調べ方が悪いのでしょうか。(^^)それにしてもガガイモを調べ始めた頃はあまりに少ないと感じていた情報が芋づる式に出てくるからインターネットは奥が深いです。
さて、それから環境関連の書籍コーナーへ移動して何冊か手にしてみました。情報集めと言うよりは、脳細胞の活性化が目的です。
ビオトープの考え方には、破壊された環境を修復・復元すると言う目的があります。しかし、一度破壊された環境を取り戻すことは大変に難しいことです。日本の公園は西洋化が進み、芝生で整備された明るい西洋風の公園が主流です。では日本庭園はどうかと言えば、これまた樹木がきちんと刈り込まれ整備されることで庭園としての体面を保っています。比較的自然な状態を維持しているのが神社・仏閣の敷地です。ビオトープの思想と生物多様性を念頭に置いてデザインすることが重要です。それでもそこにデザインと言う意図が介在することは排除できないため、やはり自然ではなく人工と言うことになります。つまり破壊された環境を完全に修復・復元することは事実上不可能です。だからこそ環境を保護するのが如何に大切かと言うことになるのです。そしてそこにデザインと言う意図が働くため、未来を見通す心が必要になるでしょう。