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強害植物と言う言葉があるのを初めて知りました。そしてガガイモもまた強害植物として認識されている様です。ガガイモに関してはその旺盛な繁殖力は知られる所ですが、一方で絶滅を危惧されています。「日本のレッドデータ検索システム」に因ると九州南部では準絶滅危惧・絶滅危惧II類として希少な存在となっています。
ガガイモは日本古来の植物であり、山菜や漢方薬として利用される等、有効性が評価されています。では、何が「有害」と認識されているのでしょう。確かに根にはアルカロイドを含む有毒植物ではあるようです。しかし、敢えて根を掘り起こして食べる必要もないわけですから、それが直接害になるとは考えにくいのです。インターネットで調べた限りでは、トウモロコシ畑でツルが絡み付いて収量に影響するとありました。なるほど、ガガイモのツルは昔は弓に使われたり、釣り糸として利用されたこともある様ですし、実際引っ張り力にはかなり強いと思います。ところが、秋になって葉が落ちると跡形もなく、溶けてなくなる様に枯れてしまいます。では、トウモロコシ畑以外ではどうなのでしょう。
言うまでもなく、植物も動物も生まれながらに「益」や「害」の特性を持っているわけではなく、人間に取ってどう言う存在であるかに因って善悪が判断されています。生態系全体から言えば人間こそ「強害生物」であることでしょう。つまり、ここで言う「強害植物」は、「人間に取ってとっても厄介な植物」と言う意味で必要以上に忌み嫌う必要もないのだと思うのです。むしろ人間がまだ利用できないと言う可能性を秘めています。
ガガイモは、山菜として天ぷらなどの調理することで利用されることがある様です。繁殖力が旺盛という特性を評価すれば、食用として栽培するにはエネルギーや化学肥料や農薬に因る汚染も必要ないと考えられます。肝心なのは美味しさ、調理しやすさ、収量、収穫の容易さ…そんなところでしょうか。葉を乾燥させて飲用してみた所、何だかとても懐かしい様な味がします。ガガイモ特有の青臭さも嫌悪する様な匂いではない為、慣れると逆に安堵感に繋がる程です。
そこまでして何故ガガイモにこだわるのかと言われるかもしれません。そこには様々な想いがあるのですが、ひとつには食生活の画一化に危機感を感じていると言うこともあります。スーパーに並んだ野菜類は、多くが海外からもたらされた物です。そこに日本人が古来から食べて来たものの姿を見つけるのは難しいのではないでしょうか。無論、栄養価や味が評価された上で厳選されていることは承知しています。しかし、病害虫対策として散布された農薬や大きさや形を良くする為に与えられた化学肥料、そして通年収穫の為に投じられるエネルギーを食べていることも事実です。食卓の西洋化は日本人の食文化に大きな影響を与えていて、今や切り離して考えられるものではありません。では、日本人が昔食べていたものに必要な要素はなかったのでしょうか。もっともガガイモを食べていたと言う記録が見つかったわけではないですが。(笑)
野草を食べることに興味を持ってみると、藤の花やアカザ等の食べてみると意外と美味しいと感じる野草があります。天童に住むようになり、春先に近所を散歩していると、地元のおばちゃんが何やら野草を摘んでいて、その名前と食べ方を教えてくれます。そう言う時のおばちゃんは、どこか得意げで、どこか照れくさそうです。まるで大切にして来た宝物を見せている様です。残念ながらそう言った野草は、流通する機会が少なく、昔はどこにでもあったことから特に珍しくもないと言うことで「雑草」の類として食べる機会が少なくなりつつあります。
春の山菜や秋のキノコは、古来の食習慣の残った食品と言えるでしょう。農産物を生産している所謂田舎では、都会の人が想像できない様な野草を普通に食べてまいます。そして自嘲する様に「雑草」と呼びます。しかし、その野草すら都会の人の口に入る可能性はとても低いのが現実でしょう。
インターネットは確かに便利で様々な情報が手に入ります。ただし、その情報の本質が手に入るわけではないのです。
強害植物…その利用法さえ見つかれば、それはたちまち強益植物となるはずです。