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寒くなって来たので、朝、布団から出るのが辛いです。その為もあってか若干自宅を出るのが遅くなりました。
今日の専門校。
1限目は荒井理事長の講義でした。近年、熊による被害が多数報告される様になりました。その原因とされるのが、ドングリ等の食料の不足が予測されています。時を同じくする様にナラ枯れが報告される様になりました。ナラ枯れはカシノナガキクイムシがナラ菌と言う病原菌を媒介することによって拡大しているそうです。まるで「風の谷のナウシカ」に描かれた腐海の森の拡大の様です。皮肉にもナラの樹が枯れることによって食用キノコの一種であるナラタケが豊作だそうです。
このカシノナガキクイムシをフェロモントラップによって一網打尽にしてしまおうと言う試みが実施されています。本来から言えば、カシノナガキクイムシ以上にナラ菌の方が問題なのですが、豚インフルエンザや鳥インフルエンザ、狂牛病に口蹄疫…人類は殺処分と言う手段しか持っていないのです。それでいて絶滅危惧種を保護し生物多様性を論じます。バランスと言う自己矛盾は、生命を食べて生きる存在である以上逃れることは出来ないのかも知れません。
さて、そんな中、熊の保護に関する動きが見られます。賛否両論ある様ですが日本熊森協会の「森へどんぐりを届けよう」と言う取り組みです。「どんぐり銀行」とは活動内容を異にするわけですが、奇しくも「どんぐり」がキーワードになっています。宮沢賢治は著作「どんぐりと山猫」の中で、金ぴかに光るドングリを登場させています。二酸化炭素の排出権取り引き等も考え合わせるとドングリは今やまさに金ぴかの存在に変わりつつあるのではないでしょうか。
ドングリの落ちる頃、風は深く豊潤な香りになります。その風を味わえば森の豊かさを認識することができるでしょう。
2限目はOJT。それぞれのチームに分かれて活動です。現実の作業に向き合うことで新たな問題に取り組む必要も出てきます。その取り組みが卒業後の仕事の入り口になるかも知れません。
今日のお弁当♪
3限目は武内先生の太陽光発電に関する講義でした。太陽光パネルによる発電の補助金申請に必要な書類の解説でした。専門校に学ぶ前と比べると太陽光発電に関する理解は深まっているのだろうと感じています。しかし、当然ながら見えなかった問題も見えてくる様になります。申請書類の多さや手順の問題もそんな中のひとつですが、そこに手を伸ばして自分のものにする機会があるのかも知れません。
講義を終えて専門校を出ると低くなった太陽光線が雲間から射し込んでいました。まだ花の咲いている植物も見られますが、やがて一面の銀世界になります。
今日の専門校。1限目から受講生の多くがOJTで省エネ照明の交換作業に出て別行動でした。残った受講生もそれぞれの活動やミーティングの時間になりました。
2限目と3限目は太陽エネルギーを存分に活かす建築物「太陽建築」の講義です。太陽光は古代より様々な形で利用されてきました。それは、他に有効なエネルギーがなかったと言うことかも知れませんが、そこを知恵で乗り切って来たわけです。ところが現代はどうでしょう。電気やガスと言ったエネルギー源を手にした為、太陽光線を無視した建築物であっても暑さ寒さをしのぐことが出来ます。無論、これはエネルギーをふんだんに使うことが出来ることが前提になっていますから、現代ならではの建築物と言うことになります。では、太陽のエネルギーを見直し、太陽を中心に考えた建築物を現代の技術で建設したらどうなるだろう。それが太陽建築です。講師の井山武司先生の建築思想が語られます。思えば、毎日太陽が昇って沈んで行くことは当たり前で、そのエネルギーがどれ程のものか意識することはほとんどありません。けれど、そのエネルギーを充分に活かすことが出来れば、無駄なエネルギーの使用は削減することが出来ます。
太陽建築はゼロエネルギーを目指しています。太陽光を受動的に利用することをパッシブソーラーと呼ぶそうです。自然環境を破壊して都市を打ち立て、太陽光に頼らず化石燃料を燃焼させることによってアクティブに文明を開拓してきました。それが現代社会と言う恩恵をもたらしてくれたわけです。しかし、このまま限界点を超えて持続可能な社会を形成することは出来ないのです。当たり前だと思っていたことが、実は当たり前ではないのだと言うことに気がつかなくてはならない時代に踏み込んでいるのです。
今日のお弁当♪
午後、OJTで外出していたチームが戻ってきました。実務は大変だったと言いながら、仕事をして来たと言う達成感が笑顔から見て取れました。
帰り道、空はすっかり晴れていました。角度の低くなった太陽光線を浴びながら自転車を走らせているとススキが夕日に染まっていました。
専門校ではエネルギー管理士やビル管理士、浄化槽管理士と言った環境関連の資格取得に力を入れて来ました。もちろん環境関連の資格は他にもあります。ただ、実務経験や経験年数が問題になる資格もあり、実際にはいきなり資格を取って就職を目指すのは無理のある場合もあります。そもそも資格が専門職の知識や経験を評価・認証するのが目的なのでしょう。
そんな中、ビオトープについて考えなくてはならない案件があり、ビオトープ管理士と言う資格を知りました。将来的にビオトープ管理士の資格で就職を目指す予定もなかったのですが、書店で「ビオトープ管理士 資格試験 公式テキスト」と言う出版物を目にしました。手に取ってみると予想外に興味深い内容で、資格取得を目指さなくても環境問題を考える上で良いのではないかと思いました。それで購入して帰り少しずつページを開いています。
そんな時「偽装と擬態」についての解説がありました。「擬装」は目立たない様にすることで「擬態」は目立つこと。「そうだったんだ???」と認識の間違いに気づかされました。そこでふと疑問を思ったのは、進化との関係性です。生物が個体で「ああなりたい」とか「こうなりたい」と念じてもすぐに進化出来るわけもありません。それは人間も同じです。仮に何世代にも渡って念じたことによって身体を進化させたのであれば、生命体は全てにおいて意志があり世代を超えて想いを伝える手段があるなんてことになりかねません。では何故生物は「擬装と擬態」を可能にしているのでしょう。
アマガエルの様に周囲の環境に皮膚の色を変化させる生物が存在することは知られています。アマガエルは一体いつ頃から何をきっかけにそんな進化を遂げたのでしょう。進化が生命の遺伝子上のギャンブルだとすれば、特定の方向性を持って進化する確率と言うのはどれほどのものなのでしょう。また遺伝子レベルの変化が全くのデタラメでないならば、その方向性は何によって決定されているのでしょう。蜂に似た容姿の蛾はデタラメに進化して蜂の様な容姿になったのでしょうか。デタラメでないならば進化の最終型は決まっているのでしょうか。系統樹によって説明される進化は一本の幹から枝を広げるかの様に表現されますが、その進化の道を辿る確率は非選択的であるのか、それともあらかじめ一定の方向性を持っているものなのでしょうか。
似通った二つの種類を比較する時、別々の進化を辿ったはずの種が同じ出口を目指している様な気さえします。例えば、昆虫同士の擬態を例にすれば、蜂も蛾も近縁であるなら似通った遺伝子を持っている可能性はあるでしょう。では、木の枝の様なナナフシや葉っぱの様なキリギリスや花の様なカマキリは一体どんな確率でその進化の道を辿ったのでしょう。無論、こう言った進化は昆虫だけに見られるものではありません。
子供の頃、枯れ葉の様に見えた蛾を知らずに触ろうとしたら突然飛んで行ってしまったので驚いたことがあります。ダンゴムシだと思って丸くさせようとしたらそれがワラジムシだった為に戸惑ったことがあります。どれだけ真似した様に見えてもマツタケモドキはマツタケではなく、蜂の様な姿をしたアブも蜂ではないのです。
生物が多様であることは、思い出せば思い出す程、考えれば考える程、不思議に満ちています。
そろそろ寒波が近付いている様です。紅葉した街路樹の葉が道路を彩っています。
今日は休講日ですが、バイオ農業チームで地熱利用施設の準備で視察に出かけました。バイオ農業と言っても実証実験の目的は地熱利用なので自然エネルギーの有効利用が目的と言うことになります。ご協力頂ける温泉施設は既に様々な実験を展開しています。
社長さんの案内で辿り着いたのは、温水を利用したビニールハウスです。先日、見学させて頂いた時には影も形もなかった場所にこつ然とビニールハウスが完成していました。地中に温水が流れるチューブが埋設されていて、今朝から温泉のお湯を流していると言うお話でした。中に入ってみるとハウス内は既に暖かくなっていました。トマトの苗も植えたばかりだと言うお話で、五月菜の苗が準備されていて植えられるのを待っています。これは言うなれば、地熱利用の温室栽培でしょう。
冬場の温室栽培において大きな問題となるのは、どのような方法でハウス内の気温を上げるかと言うことです。従来の方法では、ボイラーによる暖房ということになるかと思いますが、石油等の化石燃料を利用した燃焼運転は地球温暖化ばかりではなく燃料費高騰の問題を抱えています。そこで木質ぺレット等のバイオマスエネルギーの利活用と言う取り組みが行われているわけですが、安定的に安価で原料の調達をする必要があります。それが温泉利用と言うことになれば、言うまでもなく多くの問題が解決されることになります。しかし、当然新たな問題も見つかります。例えば、立地条件の問題。温泉水の成分の問題等です。それらの見つかった問題を一つずつ解決して行くことが、OJTの意義ということになるでしょう。
地熱利用の温室栽培から一歩踏み込むと植物工場と言う目標が見えてきます。食料自給率の低下が問題になっている昨今、安定的な食料生産の手段として植物工場と言う形がクローズアップされます。植物工場は光量や気温、栄養素や鹹水等の条件をコントロールすることにより、年間収穫回数を増やすことが可能になります。ただし、一方で大きな問題になるのが生産コストです。露地栽培の場合、太陽光エネルギーは無償で利用できています。つまり従来型の農産物生産は究極的に省エネであったと言えるかもしれません。ここで蛍光灯やLEDを利用すると言うことは、人工エネルギー使用量が増えるわけですから、二酸化炭素排出量削減の為のエネルギー使用量削減の動きとは逆行することになってしまうのではないでしょうか。植物工事用に取り組む場合、そのことを念頭に置かなくてはならない様な気がします。
お昼にはお蕎麦をご馳走になりました。喉越しの良い美味しいお蕎麦です。
メンバーは多くの現実的な課題を頂いて帰路に就きました。
今日は、省エネチームが省エネ診断の為に活動していたと言う話を聞いています。これまで半年間学んで来たことに現実の事として向き合うことになってそれぞれに考えることもあるでしょう。
今日は休講日。天候は今ひとつでしたが、比較的暖かい日でした。近所の紅葉も色づいています。
予定していなかったのですが、今年はあきらめていた柿の収穫に急遽出かけることになりました。山形の方は御存知の様に渋柿に焼酎をつけて一週間ほどで渋抜きします。たわわになった柿の実の重みで枝が地面にまで下がっていました。高枝伐り鋏を持参したのですが、樹の半分くらいまでしか届きません。毎年のこととは言え、丸々と大きく熟した柿は寒さとともに自然に甘くなって野鳥の食事になるまで樹の上で時を待つことになります。自然に落下した実は、また来年の栄養に変わります。
1時間程で収穫して帰宅する途中、河川の堤防にはびっしりとセイタカアワダチソウが繁茂しています。
日本の食料自給率は40%に届かないとか。レアメタルは輸入に頼るしかないとか。産油国ではないので石油も輸入するしかありません。そんな理由から日本には資源がないと言われます。でも、この光景は何でしょう。セイタカアワダチソウが繁茂しているばかりではなく野や山にはたくさんの自然が広がっています。この光景を見て資源がないとは???
もしかして資源がないのではなくて利用できていないのではないでしょうか。
言うなれば、有機資源大国なのではないでしょうか。それで「有機資源」で検索してみたら。なんと既に「社団法人 日本有機資源協会」と言う組織が存在することを知りました。さらに「財団法人 有機質資源再生センターという組織もあります。その他、民間でも取り組みが見られます。「有機資源」と言う意識を持って活動されている様子が垣間見えます。注意を要するのは、有機資源であっても無尽蔵ではないと言うことです。生産物を輸出する際には、日本の土を輸出することであると言う認識が必要かもしれません。
以前、長野県で農作業のアルバイトをした際に「草かじり(草の地表部分を削り取る作業)」をしていたら、土を畑の外に出さない様にと教わりました。ほんの些細な土であっても農家の方が精魂込めて作った土なのです。野菜の苗床作りの為の土作り作業もどうやら配合の秘伝がある様子でした。
そう言う意味では、日本が食料を輸入すると言うことは、海外から有機資源を輸入していると言い換えることも出来そうです。では、海外から輸入した有機資源である食料は日本でどんな扱いをされているでしょう。栄養として摂取し生命活動に利用するのは良しとしても、大量に余った食料が出ていると伝えられます。それは即ち大量の有機資源が余っていると言うことになります。そしてその先はご存知の通り焼却処分です。しかも大量の熱エネルギーを使用して。
数が少ないもの。或いは利用価値の高いものに稀少価値を見出します。でも、たくさんあるもの余っているものには目もくれないというのは、こうして見るとおかしな話です。
日本が広いとは言えない国土に豊富な有機資源を持ち、さらに多くの有機資源を輸入していると言う事実に気がついて新しい循環システムを構築するまでどれくらいの時間を必要とするのでしょう。