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環境関連の研究や開発は、表裏一体で善も悪も判断の難しいことが多々あります。善悪の判断が難しいことなのですから、正しい道へ人を導くと言うのはどれほど難しいことかと考えます。恐らくリーダーにはその善悪を見極める資質や実力が期待されていて、致命的な間違いを犯さず、どこか成功への道筋になっているのが理想なのだと思うのです。けれど、現実にはリーダーが正しい道を指し示すとは限らないわけです。
環境問題もまた、そんなリーダーが指し示したであろう道筋が必ずしも正しくなかったことによって起きていることもあるのではないでしょうか。ではここから正しい道を指し示せるのかと考えれば、試行錯誤の日々に確証を持てようはずはありません。正しい道を選ぶのは、まるで複雑なあみだくじを辿る様なものです。正しいと信じなければ犯さなかった過ちは後戻りできないことも少なくありません。故にその道の選択はとても難しいことなのだと思うのです。
現時点で最も問題の少ないのは植物の光合成くらいなものであるのに人類は森林を伐採することに忙しいとは、正しい道を知るものの行為とは考えられません。
やがて来るであろう化石燃料に依存しない社会を実現する為の道筋は決して平坦な道でも真っすぐな道でもないでしょう。故に迷い悩みを深めることもあろうかと思います。それでも柔軟な心で正しい道を模索し続けることでしか道を信じることはできないのです。
子供の頃見上げた青空は、現代の山形でも見ることが出来ます。これからドングリの季節になれば、豊潤な味わい深い風を感じることが出来ます。幸いにも人と自然の共生関係が未だ息づいている山形を如何に次世代へ託すのか。それが現代山形人の役割であると言えるでしょう。
猛暑の夏が終わり過ごしやすい季節になりました。今日から訓練校は4日間の休講です。既に登校したくてウズウズしている人もいたりするのでしょうか。(笑)
知人のお手伝いに出かけた所、奇遇にもいつぞやスポセンで取材のあった時の放送関係のスタッフの方と会いました。前回はお話しすることもなかったので、今日初めてお話をした訳ですが、人生とか縁とかって本当に不思議です。単純に現在の人間関係だけを尺度にすることはできません。 「袖触れあうも何かの縁」なんて書こうとして念のために調べたら正確には「袖振り合うも多生の縁」だそうです。「多少」ではなく「多生」なんですね。「多生」とは「輪廻転生」を意味する仏教用語だそうです。であれば、同じ教室で一年間もの間、一緒に学ぶことになっていると言うことはとても縁の深いことなのかも知れません。
最近、有名人の訃報に触れるにつけても、身近な人との別れを意識するにつけても「同じ時代を生きていた人」と考えると、とても名残惜しい様な感覚になることがあります。
天候不順や異常気象が話題にされることが多くなりました。この時代に生まれ合わせたのも「多生の縁」なのでしょうか。
環境問題が叫ばれるようになったのは何も最近のことではなく、30年前の小学生の教科書には既に環境汚染のことが取り上げられていたのではなかったかと記憶しています。高度成長期にあった日本はそう言った問題をまるで必要悪であるかのように横目に見て邁進を続けました。やがてバブル崩壊を経て残された負の遺産に呆然と立ち尽くしているかの様です。
新エネルギーへの転換を図るにも解決せねばならない問題は山積しており、それはまるで資本主義が足を引っ張るかのように遅々として前に進めずにいる様です。海外では既に新エネルギーへの転換を着々と進めているにも関わらず、とうの昔に鎖国を解いたはずの日本はまたも取り残されるのでしょぅか。
例えば、新エネ特区と言う様な地域を設定して敢えて陸の孤島を作るのも一つの手段かも知れません。それが工業団地の様な地域性を持っていれば、取り組むべき問題も明確になってくるのかも知れないと思うのです。以前、アラブ首長国連邦のドバイが高景気に湧いていた頃、新エネルギーの研究も進められていると報じられていました。あの構想はどうなったのでしょう。潤沢な資金を注ぎ込めば新エネ特区は実現するものなのか興味深い話題でした。
秋の声を聞けば、やがて来る雪の季節の心配をしなくてはなりませんね。
急に涼しくなりました。そろそろキノコの季節になりますね。毎年この季節にはキノコの毒に当たる人が出ます。確かに山に行けば一見食べられそうなキノコが出ています。 「あ、これはスーパーに売っているシメジとそっくりだから食べられるに違いない。」と思い込んで料理してしまうと言うのは危険なので絶対に止めましょう。
そもそもスーパーで売られているシメジは、栽培困難な「しめじ」とは違います。キノコの分類は時に曖昧であるため、誤解を生じやすいので事故にもつながり易いのです。
シメジと称されるキノコは多数あります。キシメジ・ムラサキシメジ・センボンシメジ・ハタケシメジ・ネズミシメジ・ハエトリシメジ…父がキノコ採りを好きだったので様々なキノコを食べましたが、現在ネズミシメジは毒キノコと分類されている様です。ハエトリシメジは、ハエを殺すと言われアルコールを飲みながら食べてはいけないと言われます。そんな危険を冒してまで食べる必要はない様な物ですが、キノコ好きには止められないと言った所でしょう。裏磐梯に出かけた時、稀少価値の高い「ホンシメジ」が多くの露店で売りに出ていました。「ある所にはあるんだなぁ。」と感心した憶えがあります。
ある時、山の中で白っぽいキノコを見つけました。傘は肉厚で波打っています。裏側には爪楊枝の先の様な柔らかい毛が密生していて甘い芳香がありました。帰宅して調べた所、どうやら「カノシタ」と言うキノコの様でした。名前の由来は「鹿の舌に似ているから」と言うことです。図鑑等では「可食」となっていましたが、それまで食べたことのないキノコでしたので間違っていては危険と思い調査を続行することにしました。キノコのシーズンは瞬く間に過ぎ、何度か見かけましたが食べることはしませんでした。どうやらフランスでは「ピエドムートン」として高級食材として利用されている様です。次の年、やっぱり気になって前年に発生した場所へいくと、誰も採らない為その年も発見できました。確かそれでも食べなかったと思います。誰にも相談できなかったのでそのまま三年目を迎えました。山歩きを続けていましたが、似たキノコが他に見つからなかったこと、図鑑やインターネットでも類似するキノコは見つけられなかったので意を決して採取しました。採取してみると肉厚でありながら脆く崩れやすいのも図鑑等で知り得た情報と同じでした。調理前に下茹ですると良いとのことでしたから、その通り実行しました。その後バターと塩・コショウで炒め、酒で味を整えてみました。特に嫌な味はしませんでしたが、香りが強過ぎて多食するものでもないかと言う感じでした。ところが、他の野菜や肉類と一緒に調理すると香りのバランスがとても良く美味しいと感じるようになったのです。無論、腹痛等の異常はありませんでした。自分で見つけて食べられることを確認できたのが嬉しくて毎年楽しみにするようになりました。
それから数年が過ぎて毎年恒例のキノコ図鑑チェックしていた所、こんな記述が見つかりました。
「カノシタ:毒成分が見つかったので食べない方が良い」
唖然としました。日本ではあまり利用されていないので混乱もなかった様ですが、キノコ類はこんなことがあるのです。ネット上では現在も希少なキノコとして販売されているようです。他に知られる所では、何年か前に食べないようにと報じられた「スギカノカ(スギヒラタケ)」の様に個人差が出るキノコもあります。
以前、山に登った時のこと。山の上で出会った人に尋ねられました。
「このキノコ食べられますかね?」
残念ながら素人同然ですので「解らない」とお返事しましたが、山を歩いている人が詳しい人とは限りません。仮に食べられると言われても自信のないキノコは口にすべきではないでしょう。
ワライタケを食べられるとする地域もある様です。慣習や適切な処理をされたキノコであっても個人差がないとは言えないことを忘れないようにしなければいけませんね。
山歩きの楽しい季節です。事故のないように楽しいアウトドアを楽しみましょう。
朝から変わりやすい天候で雨が降ったり止んだりでしたが、用があったので小雨模様の中を自転車で走りました。少し降りが強くなった後に間もなくして雨は上がり青空が見えました。道端のツクバネウツギの花にはアゲハチョウやモンシロチョウが集まっています。
昼食後、うたた寝をしたら何だか夢を見た様です。「熱交換」という言葉だけ憶えています。(^^)訓練校の夢を見た様ですね。今日は休講日ですが、出校して自主活動をした人もあったと聞いています。先日、求人案内が貼り出されましたが、皆の進路が決まるといいなぁと思います。
先日「夢」についての理事長の講義がありました。山形環境技術専門校に通い始めて5ヶ月です。間もなく半年になるでしょう。就職を希望する人、ビジネスに活かしたい人、将来の方向性を模索する人…想いはそれぞれ違っていても一緒に学んだこの時間は小さくないのではないかと思います。講義は本格的な高齢化社会を迎える日本のこれからの暮らしをどんな風にデザインして行くべきかを問いかけていました。そしてそれを具現化するモデルについてのお話でした。環境に関するアイディアは大小複数あり、実際に事業化できるかどうか模索する日々が続いています。そんな中で目指すべき理想型があるということは、方位磁石の様な役割を果たすでしょう。その為にハードやソフト等、様々な角度からのアプローチや環境整備が必要であり、現在推進しようとしている様々な試みが理想的な暮らしを実現する為の試金石となるのかも知れません。
理事長は言います。
「失敗と言う貴重な体験が財産である。」
失敗すれば当然ダメージもあり落胆もするでしょう。けれど、その経験からしか見えて来ない次の目標があるのかも知れません。
環境について学ぶ機会を得て、各自それぞれがどんな活かし方をして行くのか、それがまだ明確に見えている訳ではなくても、机上の空論を展開して言い訳を並べるよりも一歩ずつでも踏み出して失敗して行くことが経験として血や肉になって行くのでしょう。
風が涼しくなったようですね。自転車で通りかかった道端の植え込みの花が咲いていました。ツクバネウツギの様です。そこで飛んでいる昆虫を見つけて自転車を下りました。それはスズメガの仲間です。10日程前にイモムシが歩いていた場所のすぐ近くです。高速で飛翔しているので特定するのが難しいですが、セスジスズメではないようです。速過ぎて写真を撮るのも容易ではありませんでした。他にもクマバチやアゲハチョウの姿も見られます。ほのかに甘い香りが漂っていました。
最上義光歴史館の前の池の周りは、憩いの空間になっています。ビオトープのイメージはこんな感じでしょうか。カラスが1羽いて休んでいる人のそばでもの欲しそうにしています。バードコールを鳴らしてみたら警戒してピョンピョン歩いて逃げてしまいました。
山形美術館では「県美展」が開催されています。(一般600円)自然環境を描写した作品も多数ありますので、お時間がありましたらこの機会に御覧になってはいかがでしょう。
明日は米沢に見学です。