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ケセランパサランの伝説は江戸時代まで遡るとの事。謎の生物は数多くあれど、比較的身近な存在ではないでしょうか。噂によれば、ケセランパサランには動物性のものと植物性のものがあるそうです。既にこの時点でケセランパサランが何であるのか特定できていないことになります。つまり「何だか解らないけど、白くてフワフワしたもの」をケセランパサランと称している様なのです。山形県の加茂水族館に展示されていますが、加茂水族館は動物性のものの様です。もっとも見た感じが猫かウサギの毛の塊の様な印象だからと言うだけで、実際に触ってもいないので植物性である可能性も否定は出来ません。現代科学の力を以ってすれば、DNA鑑定して種を特定できそうなものですが、果たして本物のケセランパサランかどうか特定できなければ、それも無意味なのかもしれません。
その毛玉の様な物体は、一見して生物とは考え難いのですが、物体である以上存在している事に間違いはありません。ただし、それが動物の抜け毛なのか、或いは植物の綿毛なのか定かではないのです。
クラゲの展示により一躍有名になった経緯を考えれば、ケセランパサランの効果も本当なのかもしれないと思ったりします。(^^)
さて、ガガイモの綿毛(種髪)がケセランパサランの正体ではないかと言う説があります。折りを見てせっせと集めた袋果から種髪を集めていますが、個人的には違うのではないかと感じています。ガガイモの種髪はとても繊細で独特の艶を持っていて美しいのですが、あまりに繊細で種から取り外した状態で単独で形態を維持する事が難しいのではないかと思うのです。種付きであれば美しい姿を維持できますが、仮にガガイモの種髪がケセランパサランであったとすると種がついた状態では、すぐにガガイモの種子であると特定できてしまうと思うからです。むしろアメリカオニアザミの種子であれば綿毛だけが飛び回る事がある様なので、実態を確認するのが難しいと言う点では、ケセランパサランと言うイメージが持たれやすいかも知れません。しかし、ここで問題になるのはアメリカオニアザミが帰化植物であると言う点です。日本でアメリカオニアザミが最初に確認されたのは1960年代だそうです。ケセランパサランの伝説が江戸時代から伝えられている事を考慮すれば、やはり違う様です。いずれにしても桐の箱で白粉を餌に育てると言う奇想天外な伝説ですから、謎は謎のままの方がロマンがあって楽しいのでしょう。
生物多様性の一端に位置するのか否か興味深い伝説です。(笑)
年末年始と天候が荒れると言う事でしたが、今日は穏やかな日和で川辺のカモ達が思い思いに冬の1日を過ごしていました。
午前2時過ぎになってやっと就寝したのですが、早朝から温泉に入りました。温泉には既に地元の方々が入浴し、温泉の評判を伺い知る想いがしました。昨夜の忘年会の余韻覚めやらず、朝食を頂いて解散となりました。河北町の海老鶴温泉の皆さんには大変お世話になりました。ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。
雪まじりの様な小雨がちらつく中、自転車を走らせて何とか自宅に辿り着くとそのまま午後2時頃まで動けませんでした。(笑)
午後3時頃になって外に出てみると夕日の時間に間に合いそうだったので舞鶴山へ向かいました。いつもの様に神社に参拝して西側にある展望台へ向かいました。そこでは、他にも夕日の写真を撮影に来た人と一緒になりました。ぽつりぽつりと会話を交わしつつ夕日を堪能して別れました。
夕闇迫る中、ホームセンターに立ち寄りました。そこで暖房機器や加湿器の商品紹介のDVDを何となく眺めていたら「ハイブリッドファンヒーター」の紹介をしていました。ハイブリッドファンヒーターとは、設定温度より高くなると灯油の燃焼が自動的にストップして電気ヒーターに切り替わるのだそうです。利点としては立ち上がりの温度上昇が早いのと、設定温度に達して石油ファンヒーター機能が停止した時に室温の低下が緩やかになるとのこと。そして何より、灯油の使用量が少なくなるためCO2の削減にも貢献するだろうと言うことです。従来の技術を組み合わせたことにより、それぞれの弱点を補うと言うのはなかなかのアイディアではないかと感心した次第です。もちろん、灯油の使用量が減る代わりに電気の使用量は増えることになりますから、実際に使ってみないと省エネを実感できるかどうか判断が難しいと言う点は残りますが、次回の買い換え、買い増しにはハイブリッドも是非検討すべきだと思いました。
山形は冬を越す為にたくさんのエネルギーを使用します。技術の進歩が期待されます。
とうとう今年も雪の季節の到来の様です。自転車のタイヤを交換したばかりでしたが、タイミングばっちりだった様ですね。雪の季節は寒いのには違いありませんが、湿度が高くなるので、個人的には雪が降る前より過ごしやすいと思います。
一日中引きこもっているのもどうかと思い、買い物に出かけるついでに写真を撮って歩きました。雪は何でもない日常の風景を飾り立てます。
寒くなるとさすがに行動力が鈍ります(^^)
今日は自宅で引きこもりです。雨が降ったり晴れたりしていたのでしょうか。外の様子が分かりません。午後になって部屋の中にも陽射しが入って来たようです。専門校の年賀状を作っていたのですが、年齢のせいかなかなかアイディアが出てきません。(笑)昔はそれこそ沸き上がる様に思いついたものですが、今では搾って搾ってやっとエッセンスが数滴。それを膨らますしかないのです。
アイディアと言えば、環境ビジネスにおいてもアイディアは大切です。アイディアを盲信してあらぬ方向へ驀進してしまうケースも見かけますが、やっぱりアイディアは不可欠です。
そんな中、以前から注目しているアーティストのテオ・ヤンセン氏の展覧会がお台場で開催されていると言う報せが入りました。(会期:2010年12月9日(木)〜2011年2月14日(月))行きたいですねぇ〜。作品は、軽量化の工夫が施され、摩擦等によるエネルギー損失を極力抑えようとするばかりか一度獲得した駆動力を無駄にしない様配慮されている様です。それがまるで生き物の様な動きをさせるのでしょう。
昨日、エネルギーを変換する際の損失のお話をしましたが、テオ・ヤンセン氏の作品は風をそのまま駆動力源にしているわけですから、風力を駆動力に伝える際のエネルギーの変換による損失はとても少なくなっているのではないかと想像します。例えば、同様のからくりを電気で駆動させようとした場合の電力は、モーター等の重量を加算する必要がありますから、実験したわけではありませんが、同じ仕事をするのに何倍ものエネルギーを必要とすることになるでしょう。もちろんヤンセン氏の作品は文字通り風まかせであり、気まぐれと思うかもしれません。でも、とても大きな発想転換のポイントを提示している様に思うのです。エネルギーの変換の必要がなければ、変換による損失がなくなるわけで、これまで利用できなかった比較的小さなエネルギーを活用することが可能になります。
人類はあまりに電気至上主義に走り過ぎているのかもしれません。昔、小川の傍の水車小屋で粉を挽いた時代には、水力で得られたエネルギーを直接石臼に伝えるなどして利用していたわけです。
その昔、レオナルド・ダ・ビンチもまた芸術家としての創作活動と併せて科学者しての活動もしていたと言います。如何に発想し、そして想い描いたイメージを如何に具現化するか…とりあえず、目の前の年賀状を何とかせねば。